「厚木ふたり」Vol.4

洗い物を終えて居間に戻ると、
「…これから映画を観に行こう」
本を読んでいた主人が目を上げて、私にそう言う。

えー?これから?
ちょうど午後3時を回ったところ。
そろそろ夕飯の買い出しに行きたかったのに、とつぶやいたのが聴こえたのか、
「たまにはいいじゃないか、夕飯は外で食べても」と言う。

「あら、めずらしい」
「待ってるから、支度して来なさい」
「はーい」

本当に、めずらしい。映画なんていつぶりだろう。
それも夫婦、ふたりっきりで。

結婚して34年。2人の娘に恵まれた。嵐のような子育てが終わり、2人の娘は無事、嫁いでいった。
大病をすることも大きな事故に遭うこともなく、こうやって夫婦水入らずの生活が送れていることは幸せだな、と思う反面、子どもがいなくなってしまってからは家族で集まることも、外出することも、少なくなってしまった。

子どもはいつか、離れていくものだけれど。やはりちょっとさびしい。

「お待たせ」
と待っていてくれた主人に声をかけると、玄関で「おう」と小さく言った。
―バスと電車を乗り継いで本厚木駅前まで。そこから大きな交差点をわたって、一番街の商店街を抜けていく。

駅前は来るたびにお店が変わっているような気がして、なんとなく迷ってしまう。
(こっちに映画館なんて、あったかしら…)
と思いながら後ろを着いていくと、amyuと書かれた看板が見えた。

「たまに、ひとりで映画に来るんだよ」
と振り返りながらそう言う。
「そうなの?全然知らなかった」

amyu最上階の9階、広場のようになっているスペースを抜けると、こじんまりとした映画館が現れた。
そういえば昔いちどだけ、観に来たことがあったことを思い出す。

すると、
「こんにちは、佐藤さん。今日は奥さまもご一緒ですか?」
と主人に声をかけてくる人がいた。

「うん。今日は特別でね。家内も一緒に連れてきたよ」
「そうでしたか。ゆっくり楽しんで行ってくださいね」

にこにことした笑顔のスタッフさんに私もつられて、会釈を返す。

「…今日は特別?じゃあ、つぎはないってことかしら」と悪態をつくと
「…今日は、結婚記念日、じゃないか」と返されてしまった。

「あ…」
そうだった。すっかり忘れていた。
34回目の、結婚記念日。

「昔は2人でよく映画を観に来たの、覚えている?」
「だって、それくらいしかなかったじゃないの。行くところといえば」
「…また来てみようか」
「そうねぇ…」
あなたと来ても、ねぇ、とは言わずに館内へ入る。

ふかふかの椅子。
身体を預けてみるとなんだか気持ちよくて、うっかりすると寝てしまいそうだ。

…やがて、辺りがうす暗くなったころ。

ふと、思い出したかのように。
ふっと、暗くなるのを待っていたかのように。

「34年間ありがとう」

と、そっと小さな声で…でも、たしかにしっかりと…私に耳打ちしてくれた。

びっくりして、思わず主人の顔を見つめると照れたように前を向いてしまった。主人の顔が映画の明かりに照らされて、ぼうっと明るくなっていく。

「…たしかに、今日は特別な日だわ」

思い切って、わたしも隣の主人に向かって手をのばす。

映画が、始まった。

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