Vol.10「厚木ふたり」

あやしい。絶対に、あやしい。
悲しいけど、彼は恋をしている。
私ではなくて、私以外の、誰かに。それがわかるのは、私が彼を。旦那さんを好きだからだ。

結婚して、6年。旦那さんと私との出会いは、山が好きな者同士が集まって結成された、山岳同好会でのことだ。学生時代、山岳部に所属していた私は卒業してからも山から離れたくなくて、それで、地元の山の会に入れてもらったのだ。
月一回の山行、低山のときもあれば、2000mに届きそうな山へも、いろんなところへ出かけた。あまり熱心に参加する方ではなかったが、行けばいつも参加している人がいた。それが彼―今の旦那さん―だった。
決して口数が多いほうではなかったけれど、彼は私にはよく話しかけてくれた。話題はなんてことない、山の変わりやすい天気のこと、山で食べるごはんのこと、そんな他愛もないことだ。それを聴くのが楽しみで、私はよく山行に顔を出すようになった。
あれは、山小屋泊まりの丹沢山行の時だったと思う。山の仲間たちと私が仲良く話して盛り上がった夜のこと。その雰囲気を壊さないように、ふと立ち上がった彼が、黙ってみんなにコーヒーを淹れてくれたときのことをよく覚えている。その「さりげない優しさ」を持つ彼がひどくまぶしく見えて、それきり、目が離せなくなったから。

「あっはっは。『恋』してるって、それほんとなのー!?やるねぇ~麻美の旦那さん」
「そんなに笑う?あのね、このこと話したの、菜々子がはじめてなんだからね」

高校時代からの親友だけには、旦那さんのことを言ってみようと、電話で話してみたら、
いきなり笑われてしまった。菜々子はいつもこうだ。なんでも面白がって聞いてくれる。

「でもさ、麻美のこと、旦那さん大好きだと思うけどな。この間いっしょに
ごはん食べたときも、アンタにそりゃあもう、かいがいしくしてたじゃない?笑」
「うっ」
「結婚して何年目だっけ?」
「えーと…7年目入ったとこ、かな」
「なんかいきなり態度が変わったとか?」
「ううん」
「帰宅時間が遅くなったとか?」
「ううん。むしろきっちり帰ってくるし、態度も変わらない。逆にやさしいくらい」
「…逆にあやしいね」
「でしょ」
「でも、考えすぎかもよ?なんか、浮気を感じることでもあったの?」
「……レシートがね、なんでも2人分、なんだよね」
「買い物のレシートってこと?」
「うん。コーヒーも、お昼のランチメニューも、ビールも、文房具も、とにかく2人分」
「うーん…あやしいですな」
「でしょ」
…それにね。レディースの洋服を買ったらしいレシートもあったの。とは言えなくて、
黙っておいた。
「麻美さ、奥さんなんだから、でーんと、どーんと構えてれば大丈夫!…て、あたしは言えないな。それでだめになった夫婦、結構知ってるし」
「う…」痛いことを言う。
「でも、あれこれ追及するのはだめだよ。それよりも…」
「それよりも?」
「チョコレートでもつくったら?ホラ、もうすぐバレンタインだよ?」
「はい?今さらバレンタイン?もう何年もそんなことしてないよぅ」
「麻美、バレンタインはクリスマスに次ぐ一大イベント!とか言って、頑張って
板チョコ溶かしてたじゃない」
「ちょっと。溶かしてたんじゃなくて、つくってたんですー」
「まあまあ。いいじゃないの、細かいことは。気晴らしにつくってみたら?本気の手作りチョコレート。あ、2人分つくって渡しちゃうとか?笑」

そう皮肉を言われて、電話は切れた。
バレンタイン。バレンタインか…。
ふん、なによ。何が浮気よ。
悩むほど、あなたをまだ、こんなに好きなのに。

2/14。今年もバレンタインがやってくる。
今年は本気でチョコレートをつくってみようか。
もう一度、あなたを振り向かせたい妻からの、逆転の、バレンタイン。

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